So-net無料ブログ作成
検索選択

気まぐれ寄稿「俺的文学」1 [我流文学]

気まぐれ寄稿「俺的文学」1***石川啄木

「悲しき玩具」という啄木の歌集がある。ご存知の方はご存知だと思うが、「悲しき玩具」とは啄木にとっての短歌のことだ。啄木は小説で身を立てたかった。が、叶わなかった。で、戯れに短歌を作り始めたら面白いように出来た。つまり、本気で取り組んでいた「小説」に対し、挫折の末の戯れで始めた「短歌」は「悲しき玩具」である、ということだ。

啄木にはまったのは、高校3年あたりであった。当時俺は曲を作る才能のなさに嫌気がさしてまったくギターを弾かない生活をしていた。メロディが全然作れない。歌詞先行で行こうとしても全然言葉が足りない。もうやーめた、ってなもんである。

そんな時に啄木の歌集を読み始め、「悲しき玩具」の意味を知った。試しに短歌を作ってみたら、これがまた面白いようにポコポコできた。「曲」としては言葉足らずで、作りかけのまま放っておいた詞を31文字にまとめりゃ完成である。

目覚めて目についた部屋の様子とか、街の風景、様々な出来事に対する思いなど、「AメロこうしてBメロこうやってサビはこうだな」なんてこねくり回す必要もなく、さっと31文字にする作業は、出来映えはともかく曲作りに比べれば楽勝であった。

多分それは啄木に影響されたから出来たのであって、これが「柿本人麻呂目指します!」となると話は別だったと思う。啄木の「口語調、句読点あり、3行書き」というスタイルを踏襲したから出来たのだ。

おそらく、万葉の昔、短歌を作っていた歌人たちは「係り結びの法則に従えば、ここは已然形だな」なんて考えながらつくっていたわけでも、嫌がらせで「衣ほすてふ」だの「泣く子らをおきてそきぬや」なんて難しい言葉を使っていた訳でもはなく、当時普通に使っていた言葉や文法上の法則を無意識に詠み込んでいただけだと思うのだが、もしそうであるなら、啄木は滅多矢鱈に敷居の高くなった短歌というものを、万葉の頃と同じような身近な存在に戻した最大の功労者ではなかろうか。最近でいうと俵万智さんがそうであるように。

その後俺は大学で相方と出会い、再び音楽を始めた訳だが、すでに真剣にまじめな曲を作るということに対して熱意を失っていた(正しくは『今更こっぱずかしくてやれねぇよ』って感情)俺は「パロディ」「パクリ」に走った。Los Otakosの音楽も俺とってはある意味「悲しき玩具」なのかもしれない。

★俺的Best Of 石川啄木
かの時に言いそびれたる
大切の言葉は
今も胸に残れど


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0