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テキトー短歌論 [我流文学]

例えば、こんな過去記事があるように↓
http://blog.so-net.ne.jp/losotakos/2006-06-17
俺は短歌が好きなのである。

「啄木にはまったのは高校3年の頃」と書いてあるな。
そうだっけ?(←適当だな)
少なくとも中学の頃には百人一首ほとんど覚えてたような気がする。
啄木の短歌も与謝野晶子の短歌も中学時代にはかなりウハウハ言いながら
読んでた記憶がある。
でもまあ、ずっぽしハマったのはやはり高校に入ってからか?

自分で詠んだ短歌で、記憶と記録に残っている一番古いのは高校3年の時に
詠んだものだ。
ちょうど「龍馬がゆく」にも感化された時期で、
「なんかつまんねぇ世の中に生まれて来ちまったなぁ」みたいなことを、
ちゃんと古語を使って詠んでいた。

その後、啄木の影響で「3行書き」「句読点有り」「口語体」になっていくのだが、
しまいには「最終的に31文字に近けりゃ、五七五七七じゃなくていいや」
なんてノリになっていく。英語まで入ったりなんかして、もう「短歌の権威」という
学者さんが見たら「ケシカラヌ」と血相変えそうな勢いである。

で、今になって思うのは、やっぱり「五七五七七」がいいのではないか、と(笑)。

作例1)
哀しき心もて
爪弾けるギターの音色
ぽろぽろと鳴りて消ゆ

これなんかぴったり31文字だけど(多分)、
「いいですか、今から短歌を発表します。五七五七七じゃないけど、
短歌なのです。短歌なんだから短歌と思って読んで下さい」
って言わないとわからねぇじゃん、という世界ですね。

作例2)
これだっていつかは灰になるのだ、と
思って見ている
己が掌のひら。

やっぱり短歌としてまだこっちの方が納得しやすい(笑)

あとはやはり、「定型におさめる」という作業が、
時にもどかしく、時に心ときめかせるのである。
「くそ〜、字数合わないけど、なんとかしておさめてやる!」
という妙な闘魂。曲先行で詞を付けるかのような勝負。

とはいえね、「自由に詠ませろ!文句あっか!」という時もあるので
これからも定型だったり、定形外だったりするのです。

作例3)
「尾崎が好き」と言っていた
あの人と聴いた「I LOVE YOU」を、
一人で聴いている。

↑もう滅茶苦茶です。

でまあ、今回こういう事を書いたのは、今まで
「俺、短歌作るの好きなんすよ」とカミングアウトして
「いや、実は僕も」「いえ、わたくしも」と相成った試しがほとんどないくらい
まわりに歌人がいないので、
「なんだ、そんなテキトーでいいのか」
と思って作り始めてみました、という人がいればいいなぁ、ということなのである。


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気まぐれ寄稿「俺的文学」1 [我流文学]

気まぐれ寄稿「俺的文学」1***石川啄木

「悲しき玩具」という啄木の歌集がある。ご存知の方はご存知だと思うが、「悲しき玩具」とは啄木にとっての短歌のことだ。啄木は小説で身を立てたかった。が、叶わなかった。で、戯れに短歌を作り始めたら面白いように出来た。つまり、本気で取り組んでいた「小説」に対し、挫折の末の戯れで始めた「短歌」は「悲しき玩具」である、ということだ。

啄木にはまったのは、高校3年あたりであった。当時俺は曲を作る才能のなさに嫌気がさしてまったくギターを弾かない生活をしていた。メロディが全然作れない。歌詞先行で行こうとしても全然言葉が足りない。もうやーめた、ってなもんである。

そんな時に啄木の歌集を読み始め、「悲しき玩具」の意味を知った。試しに短歌を作ってみたら、これがまた面白いようにポコポコできた。「曲」としては言葉足らずで、作りかけのまま放っておいた詞を31文字にまとめりゃ完成である。

目覚めて目についた部屋の様子とか、街の風景、様々な出来事に対する思いなど、「AメロこうしてBメロこうやってサビはこうだな」なんてこねくり回す必要もなく、さっと31文字にする作業は、出来映えはともかく曲作りに比べれば楽勝であった。

多分それは啄木に影響されたから出来たのであって、これが「柿本人麻呂目指します!」となると話は別だったと思う。啄木の「口語調、句読点あり、3行書き」というスタイルを踏襲したから出来たのだ。

おそらく、万葉の昔、短歌を作っていた歌人たちは「係り結びの法則に従えば、ここは已然形だな」なんて考えながらつくっていたわけでも、嫌がらせで「衣ほすてふ」だの「泣く子らをおきてそきぬや」なんて難しい言葉を使っていた訳でもはなく、当時普通に使っていた言葉や文法上の法則を無意識に詠み込んでいただけだと思うのだが、もしそうであるなら、啄木は滅多矢鱈に敷居の高くなった短歌というものを、万葉の頃と同じような身近な存在に戻した最大の功労者ではなかろうか。最近でいうと俵万智さんがそうであるように。

その後俺は大学で相方と出会い、再び音楽を始めた訳だが、すでに真剣にまじめな曲を作るということに対して熱意を失っていた(正しくは『今更こっぱずかしくてやれねぇよ』って感情)俺は「パロディ」「パクリ」に走った。Los Otakosの音楽も俺とってはある意味「悲しき玩具」なのかもしれない。

★俺的Best Of 石川啄木
かの時に言いそびれたる
大切の言葉は
今も胸に残れど


漢詩 [我流文学]

昔、弊社の公式サイトを見ていた方には懐かしいのでは?誰より俺が一番懐かしいが。しかし、これより、マイクマンのアニメ−ションを発掘したい。もう一回作るのは面倒だ。



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